「私の少年」高橋ひと深:関係性に名前は必要か
ずっと読めずにいた私の少年が完結したと聞き、腹を括って読みました。(9巻完結)
単行本出たてくらいの時から気にしていて少し読んではいたけれど、倫理的にどうなの?どうやって着地するの?無理じゃない?と心がしんどくなってしまい封印していた。(本屋で目につくたびにこっそりダメージを喰らっていた)
[あらすじ]
30歳会社員の聡子が仕事帰りの公園で12歳の少年真修と出会い、サッカーを教えることになる。真修との交流に癒しを感じつつも、聡子は真修がネグレクトされているのではないかと疑いはじめる。
まずはとにかく高野ひと深さんの透明感抜群の絵が素晴らしいです。巻を経るごとにどんどん良くなる…絵の力ってすごい。
絵の透明感とそれに見合ったキャラクターはこの漫画を成り立たせている大きなポイントだし、絵とキャラが同じ方向を向いていることによる強度みたいなものがある。(現実にこんなスレずに育った高校生はおらんやろとも思うが、それがキャラクターの魅力を損なうことにはならない、なぜなら絵がバッチリだから…)
物語序盤はどうやって小学生を守るか、赤の他人である聡子はどこまで介入するべきなのかあるいはしないべきかという、「聡子がどうするか」で一方的に話が進むが、真修が中学生・高校生へ成長していく過程で、一方的に守られるだけの子供から大人である聡子と対等に関わり合えるようになっていく。
異性愛者同士の子どもと大人をどう関係づけるのか、男女逆だとかなり嫌悪感があるが大丈夫なのか…というモラル的なしんどさとハラハラは終始ずっとある。
年の差男女で2人の世界が強すぎると完全に搾取構造になるのでめちゃくちゃ嫌悪感があるのだけど、ちゃんと閉じない形で描ききってくれたのでそこは良かった。
しかし特に序盤は聡子と真修以外みんなダメなやつなのと、聡子マジ1人で抱えすぎなのでややセカイ系的に読めてしまい、やはりしんどい。
後半からまともな人間が増えていくのと、ダメなやつがなぜダメだったかが描かれていくことで辛さは軽減されますが。(理由があったところでダメなことには変わりないが、「拒絶したいあちら側」を表すだけの駒じゃなく、「同じ世界を構成する一人間」として描かれていたのだなということは分かる)
あと真修のことが好きな奈緒ちゃんがとても可愛かった。
小学生から高校生まで、出会ってから真修への感情が少しずつ変わっていく過程、自分の感情と向き合って大人になっていく様子がきちんと描かれてます。そして彼女は真修の美しさを前に正気を保っているので非常に人間ができている。狂気だけが恋ではない。
奈緒ちゃんと真修が学外で一緒にいるところをクラスメイトに見られて茶化された際に、
男女で一緒にいるだけで付き合っているかどうかを聞かれるが、ただ一緒にいるだけの関係はダメなのか。自分にとって「普通」に過ごしているだけで、都度周囲に説明しなくてはいけないのはなぜか。(意訳)
と真修が(奈緒ちゃんとの会話ではあるが聡子へ重ねているようなニュアンスで)言い、そうだよなあ〜〜人間関係全てに名前がつくわけではないもんな〜〜何でダメなんだろうな〜〜と考えてしまった。
私自身は仲の良い好きな女を悉く「友達」と雑に括っているけれど、その内実はかなり多様だしグラデーションもあるし、同世代の女同士だからたまたま雑な説明で済んでいるだけという自覚はある。
そして基本的に名前のない物事が増えるのは豊かさに繋がると思っているので、名付け難い関係を他人と築けるのは(子どもだろうが大人だろうが)豊かなことなのではと思っている。
※私たちって恋人なのかな?と一方が問い詰めて一方がお茶を濁す、というあれはただの擦り合わせ不足なので除外
※もちろん子どもは絶対に守るし大人は子どもへ絶対に手を出してはいけないのは超大大前提
まあそんな風に肯定する気持ちもありつつ、現実に知り合いがすごい年下と付き合い始めたら眉を顰めるみたいな仕草をしてしまう自覚もあるし、
「18歳と36歳がいいなら17歳と35歳でもいいんじゃないの?なんでダメなの?」と子どもに聞かれたら自分の言葉で論理的な説明はできない気がするし…
とにもかくにも、高校生真修の視覚的破壊力はえげつないのでそれだけで読む価値はあります。でもやっぱり聡子寄りの立場である私が人にこの漫画を勧めることが変な文脈を生みそうで抵抗もあります。(あと絶対にアニメ化はしないでくれ)
ヒリヒリせずに癒されたいアラサーはきみはペットを読もう!